【京都】上賀茂神社で発見された「兼氏」「吉則」の銘刀、美しく甦る。【角田晶生】

  • 2020.03.22 Sunday
  • 22:04

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(角田晶生 つのだ あきお・文筆「角田書物(〜かきもの)」主人)

 

報道によると、令和元2019年末に上賀茂神社(京都市北区)の蔵から発見された刀剣2振りを調査した結果、南北朝〜室町時代に制作されたことが解明されました。

 

刀はそれぞれ「兼氏(かねうじ)」「吉則(よしのり)」の銘があり、兼氏は明治二六1893年に坐摩神社(大阪市中央区)、吉則は大正五1916年に島津益五郎(京都工学校の設立者)によって奉納された経緯が上賀茂神社の社務日誌(重要文化財)に記録されており、その歴史的な価値も確認されています。

 

※参考:

奉納刀、銘「兼氏」は室町時代の作か 100年ぶり研ぎ、輝く刃文 上賀茂神社(京都新聞)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200321-00290053-kyt-soci

 

 

兼氏(かねうじ)とは鎌倉末期〜南北朝時代に活躍した刀工で、大和国(現:奈良県)出身。五郎入道正宗の弟子として頭角を現し、「正宗十哲」の一人に数えられる腕前で知られました。

後に美濃国多芸郡志津(現:岐阜県海津市)へ移住したことから志津三郎と称し、直江志津派を興しています。

 

吉則(よしのり)は平安時代から続く京都・三条の刀工集団「三条派」に所属し、室町時代に活躍しました。

また、和泉国(現:大阪府南西部)や越前国(現:福井県)でも活動した形跡があるようです。

 

今回発見された刀は丹念に研ぎ上げられ、美しく甦ったとの事で、今後も神社と崇敬者の宝として、末永く愛して欲しいものです。

【Japaaanマガジン】最近執筆させていただいた記事たち・令和元年11月の部。【角田晶生】

  • 2019.12.04 Wednesday
  • 21:02

 

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(角田晶生 つのだあきお・フリーライター)

 

 日本文化と今をつなぐウェブマガジン「Japaaanマガジン」にご掲載いただいた令和元年11月の記事たちです。

 

 誰でも知っている有名な人物から、マイナーな人物・雑学など、それぞれの生涯を追いながら、歴史を文化を味わっていただけましたら幸いです。

 

 

貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(一〜四)

https://mag.japaaan.com/archives/107860

https://mag.japaaan.com/archives/107869

https://mag.japaaan.com/archives/107878

https://mag.japaaan.com/archives/107956

 

 

人間五十年…は昔の平均寿命じゃない?織田信長が好んだ幸若舞「敦盛」に唄われた真意とは

https://mag.japaaan.com/archives/107967

 

 

桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った服部小平太と毛利新介…その後の人生どうなった?【一〜三】

https://mag.japaaan.com/archives/108149

https://mag.japaaan.com/archives/108158

https://mag.japaaan.com/archives/108273

 

 

豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【一〜六】

https://mag.japaaan.com/archives/108413

https://mag.japaaan.com/archives/108415

https://mag.japaaan.com/archives/108548

https://mag.japaaan.com/archives/108559

https://mag.japaaan.com/archives/108562

https://mag.japaaan.com/archives/108678

 

 

 

 

鎌倉の葛原岡神社はいつから「縁結びスポット」に?神職の方に訊いてみました

https://mag.japaaan.com/archives/108685

 

 

ブラシじゃないよね?平安貴族の男性がよく顔の横にくっつけてるアレ、いったい何なの?

https://mag.japaaan.com/archives/108870

 

 

不器用すぎる親心?織田信長が子供たちにつけたユニークすぎる名前を一挙紹介!

https://mag.japaaan.com/archives/108964

 

 

織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【上・中・下】

https://mag.japaaan.com/archives/109117

https://mag.japaaan.com/archives/109124

https://mag.japaaan.com/archives/109212

 

 

【鎌倉もののふ隊】11月24日(日)第39回ふかさわ芸能祭り「梶原景時〜もののふ斯くあるべし〜」上演。【角田晶生】

  • 2019.11.24 Sunday
  • 21:49

※かつて梶原景時が治めた梶原の地元で上演。

 

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(角田晶生 つのだあきお・フリーライター)

 

 令和元年11月24日(日)、鎌倉市・深沢学習センターにて開催された第39回ふかさわ芸能祭り(深沢地区文化祭・芸能のつどい)にて、脚本を担当させていただいた「梶原景時〜もののふ斯くあるべし〜(原作:鎌倉智士)」が上演されました。

 

 梶原景時は頼朝公の”懐刀”として鎌倉幕府の草創に大きく貢献するも、頼朝公のために「嫌われ役」として手を汚してきたことから、最大の理解者である頼朝公の没後、御家人たちにその地位を追われることになります。

 

 息子たちは「なぜ将軍(二代目・頼家)に弁明せなんだか」などと悔しがりますが、あくまで「主君の御為に汚名も引き受けてこそ、武士の奉公」と美学を貫いて沈黙を守る景時。

 

 そしていよいよ鎌倉追放の時が迫り、景時は「いつか必ず、この梶原の地に帰って来る」と誓いながら去っていきます。

 

 九郎御曹司こと義経公を失脚せしめたことなどから、判官びいきの反動で「日本三大悪役」の一人にかぞえられてしまう梶原景時ですが、彼のしてきたことはすべて頼朝公のためであり、ひいては鎌倉幕府、武士の世を築き上げるためでした。

 

 ただ義経=善、景時=悪だけでない歴史の別面にも、興味関心を持っていただけましたら幸いです。

 

※松尾崇 鎌倉市長を囲んで記念撮影。

 

※梶原景時をお祀りする梶原の御霊神社へ、演劇成功の御礼参りに。

 

※景時の次男・梶原平次景高の役でした。

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