【ご先祖さま、見つけた!】郷土資料の中に──鎌倉市中央図書館にて。【つのだあきお】
- 2018.04.02 Monday
- 21:17
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(つのだあきお 角田晶生・フリーライター)
先日、ちょっと空き時間に鎌倉中央図書館で、郷土資料をパラパラやっていたら、こんなものを見つけました。
『鎌倉郡「神奈川県名鑑」より』
どうやら『神奈川縣名鑑』という書籍(地元の有名人図鑑的なもの)から鎌倉郡の人を抜き出し、コピー&ファイルしたもののようです。
その中に、見つけました。
「角田留吉(とめきち)」さんの名前。
この瞬間、全自分が歓喜に沸き立ったのは言うまでもありません。
この人が私の祖先(の一族)だと言えるのは、この資料、ご丁寧に本籍地や中には電話番号まで記載されているからです。
「鎌倉郡本郷村上野(かみの。現:横浜市栄区公田町)」
私の家も、元を辿るとこの本籍地に行き当たり、直系ではなくても、一族の内には間違いありません。
※私の直系は、大正年間に曽祖父が小袋谷(現:鎌倉市小袋谷)へやって来たそうです。
さて、この名鑑、記載人物の略歴や人柄まで紹介されており、せっかくなのでこちらにも写します。
【ここから】
角田留吉 鎌倉郡本郷村上野XXX
氏の父君を雪治郎氏と呼んだ。
其時代に分家して現所に一家をなし、農業を営んで日夜家運の発展に勤勉したといふ。
本家の当主を浦吉と呼び、現に区長代理等を勤めて信望が厚いといふ。
氏は分家の二代目に当り、即雪治郎氏の長男として明治二十一年八月二十二日を以て生まれたが、小学校を卒業した頃早くも父君の死に遭ったのである。
幼な心にも其悲歎は深刻を極めた。
分家して幾何もないこの不幸は未亡人さだ子氏の細き腕一つに支えるにはあまりに辛労が大きかった。
氏は無常の涙の裡に人となり。
母堂をして安心立命させることを唯一の念願として刻苦したのであった。
不幸ばかりつゞくものでない。
やがて氏の家にも明るい喜びの日が訪れた。
そして氏はサク子夫人と婚姻して共にその難関に向って運命を打開したのである。
今や夫妻の間には二男一女を揚げ一人の親御に孝養至らざるなしと聞く。
氏は在郷軍人分会幹事、青年支部長消防小頭として多年尽力したが、現に村会議員、及消防小頭第二部長として大に公共に貢献している。
【ここまで】
※『神奈川縣名譽録』鎌倉郡之部、二〇頁。
※コピーされた資料と、ファイル表紙で名前が違うのは、図書館の勘違いと思われます。
上記をもっと簡単にまとめると、概ねこうなります。
【角田留吉】明治21(1888)年8月22日生まれ
父:雪治郎、母:さだ子の長男として生まれました。
父が分家した二代目ですが、小学校を卒業した頃に父が亡くなり、女手一つで子供を育てる母に孝行しましま。
やがてサク子さんと結婚、二男一女を授かり円満な家庭を築きました。
その後も在郷軍人分会幹事や青年支部長消防小頭などを務めて長年地元に貢献、現在(その時点)でも村会議員や消防小頭第二部長(公設?)など、大いに公共に貢献しています。
……との事です。
留吉氏の年齢から推測して、明治初期には分家しているようなのでかなり遠い親戚にはなりますが、それでも鎌倉郡本郷村上野の地で共に生きていた親族の足跡を辿る事は何より嬉しく、また、公共に尽くす事を喜びとした事は、何より誇らしく思います。
不肖の末裔ではありますが、少しでも世の役に立っていけるよう、今後とも精進して参ります。
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