【鎌倉もののふ隊】考察・川名一族について、続き。【つのだあきお】
- 2017.08.31 Thursday
- 23:15
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(つのだあきお 角田晶生・フリーライター)
以前、鎌倉もののふ隊の鎌倉智士さんより
「川名一族について、(その在否を)調べて欲しい」
と言われ、資料などを当たってみた、その続きです。
藤沢市川名には御霊神社があり、そこに鎌倉権五郎景正公が合祀されている事を受けて、
「権五郎をお祀りしているから、鎌倉党に所縁があるのは間違いない。そして神社は昔(古代〜中世)、そこに有力者が拠点を置き、治めていた事の証左であり、その地名を苗字に名乗った武士がいてもおかしくない(要約)」
という訳で調べたのですが、川名という苗字を名乗っていた武士は今のところ見つかっていません。
それでも事実として川名に御霊神社があるのですから、そこを治めていた武士がいたことは間違いありません。
川名の御霊神社は、川を挟んで対岸の村岡に鎮座する御霊神社の三年後に創建されていますが、建てたのはいずれも平良文。村岡を拠点に相模国を治めたと伝わります(異説もある)が、彼には把握している限りで三人の息子がいました。
長男・忠輔……良文の後継予定者だったが、早く亡くなった。
次男・忠頼……村岡次郎と名乗った事から、近郷を治めたものと思われる。
三男・忠光……兄・忠輔の養子として家督を継いだ。
ごくざっくり紹介しましたが、この中で次男の忠頼が、川名の地を治め、本拠地の村岡は忠光が継いだものと推測されます。
これは川向こうの川名も重要な拠点であり、信頼できる一族の中から彼を選んで託したのかも知れません。
結局、現時点では「川名一族」の存在を確認する事は出来ませんでしたが、今後藤沢市の図書館などで郷土資料を当たる機会を得て、さらに勉強したいと思います。
取り急ぎ、雑考をまとめてみました。
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