【鎌倉四兄弟】杉本義宗の内儀(鎌倉景継の娘)について。【角田晶生】
- 2018.05.31 Thursday
- 22:41
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(角田晶生 つのだあきお・フリーライター)
お陰様をもちまして、ご好評頂いております地域演劇「鎌倉四兄弟-最後の晩餐-」(原作:鎌倉智士さん)。
拙い筆による脚本が、地元を盛り上げる一助となれば誠に喜ばしい限りです。
さて、そんな先日に上演された折、配役の名前を見て、違和感を覚えました。
「杉本平太郎義宗内儀」
※内儀(ないぎ)とは「妻」を意味します。
んん?
杉本義宗と言えば三浦党の惣領・三浦大介義明の嫡男であり、三浦党にその名も高い和田小太郎義盛の父。
要するに、鎌倉一族にとっては宿敵・三浦党に縁の深い人物です。
確かに彼女の実家は鎌倉一族(鎌倉または大庭景継の娘)であり、四兄弟にとっては伯母に当たります。
※お芝居に登場する長江平太郎義景の姉か妹に当たります。
この時既に夫である義宗は戦死、嫡男の義盛は和田の地を領して杉本を出て、杉本の所領は舎弟の小次郎義茂が継承しているので、それを後見した可能性はあるでしょう。
しかし、それでも「元は鎌倉一族だし、夫が死んだから」と三浦党を露骨に裏切るか、と言われると、些か疑問が残ります。
もちろん、鎌倉一族でありながら結局は三浦党に与した長江義景の例もありますから、最終的に鎌倉一族に与する可能性も考えられなくはありません。
とは言え、鎌倉と三浦の争いを仲立ちする目的で婚姻関係を結んだ(のであろう)訳ですから、いきなり片方に旗色を示すかと言われると、やはり微妙です。
鎌倉四兄弟のお芝居は、伊豆で頼朝公が謀叛を企む事を知った大庭景親が一族に緊急招集をかけたところから始まりますから、この時点ですぐさま彼女が鎌倉党の軍議に駆けつければ、三浦党の心象が悪化する事は想像に難くありません。
当時は「嫁取り」ばかりでなく「婿入り」も普通にあったとは言え、それは両家の力関係によるところが大きく、三浦党も鎌倉一族も、基本的には対等ですから、この時点ではどちらにつくとも明確ではなかろうと推測されます。
ただ、それでもあえて軍議に列席せしめる(お芝居に登場させる)のであれば、三浦党と何らかの合意があったのかも知れません。
元は鎌倉一族なのだから、表向きは協力してやりながらさりげなく探りを入れて来い、とか、三浦と事を構える場合はあわよくば撹乱せしめよ、とか。
後に鎌倉一族を裏切って頼朝公に味方することになる懐島平太郎景能(太郎)や豊田平次郎景俊(次郎)辺りも鎌倉一族の(勢力圏の)西側で領界を接し、争い続けてきた中村党とのしがらみが動機であるとする説もあるようです。
単純に三浦だ鎌倉だ中村だ、とスッパり敵味方に分かれきれない複雑な人間関係や勢力図が広がっていたものと思われます。
鎌倉一族と三浦一族の家系図を書いてみると、元は同じ祖先から枝分かれして、お互いが複雑に絡み合いながらいがみ合う、という、非常に業の深い歴史を感じる事が出来ます。
そういう説明がないと、少し歴史に興味がある人にはとても違和感が残るかも知れませんが、まぁそれでも鎌倉さんが出したいと言うなら、脚本を提供している側としては、ある程度自分で納得できる理由づけをしました、と言う話でした。
【ざっくりとまとめ】
杉本義宗の未亡人(鎌倉景継の娘)は、鎌倉・三浦両一族の仲立ちとしてどちらにも顔が利くので、どちらからも警戒されながら利用され、今回の軍議に際しては三浦から何か言い含められながらの同席。
一方で、鎌倉一族の棟梁である大庭景親はじめ四兄弟にとっては伯母に当たるため下には置けず、と言って信頼し切れないながらも利用価値は見出している(あわよくば利用したいと思っている)。
そんな複雑な立場でそこにいる……という設定です。
※あくまでも演劇(脚本)の設定であり、鎌倉一族の解釈には諸説あるため、これが史実だと断定するものではありません。
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