【駄文を連ねて幾星霜】言葉を、この世に残すこと。【角田晶生】

  • 2018.07.31 Tuesday
  • 01:00

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(角田晶生 つのだあきお・フリーライター)

 

「さぁ謳え 声高く

  滅びゆく同胞(はらから)の名を……」拙。

 

 さて、大した才能もないけれど、文章を書くのが好きです。

 

 あちこちへの寄稿やブログなど、何でも書いていないと、一日の充実感がありません。

 

 そんな訳で、興味のある事などあれこれ書いていると、犬も歩けば……という通り、こんなご意見もよく頂きます。

 

「なぜお前は色々(主に我々にとって都合の悪い事を)書くんだ」云々。

 

 そんなの決まってまさぁ。

 

 書きたいからです。

 

 公益に供すると信じた事や、生きている内に「こういう人間がいたんだ」「こういう価値観を重んじたいんだ」という事など、言葉を尽くしてから死にたいのです。

 

 そんなお前の愚かしさを後世に残すのか、お前にそんな価値はない……そんな悪口雑言も聞こえますが、そんなのは後世の方が決めればよろしい。

 

 なるべく細かく記録をつけて、支障のない範囲で公開・共有する。

 

 多すぎる記録は後で処分すればいいけれど、ない記録を補うのは、大変な苦労が伴います(例『鎌倉四兄弟』など)。

 

 現代からすれば、実に些細な記録の有無で、後世の誰かが快哉を上げる。

 

 そんな事があってもなくても、文章を書くのは楽しいものです。

 

 かつてこんな時代に、こんなヤツが生きていた。

 

 いつか誰かが、この時代を描く時、その手がかりになったら嬉しいな、と思います。

【社会的弱者について】保護する側と、受ける側の姿勢や態度。【角田晶生】

  • 2018.07.30 Monday
  • 01:50

(角田晶生 つのだあきお・フリーライター)

 

 社会的弱者、というお墨付きを得た人達を批判すると、たちまち槍玉に上げられる昨今。

 

「自分たちは弱者で、何が悪い!」

 

 まぁ、別に悪いなんて言っていませんが、強いて言うなら、その

 

「開き直り」

 

でしょうか。

 

 人それぞれ、得手不得手や個性があるように、それが社会における強さ弱さに表れることはよくあります。

 

 強い者は強さ相応の義務を、弱い者は弱さ相応の義務を負い、そして誰もが公正な権利を得る。

 

 弱い者には最低限の保護が必要で、それを行政が保証し、広く理解と協力を求めるのは大切な事です。

 

 ただ、受ける側が保護を「当たり前」とする態度をとれば、理解と協力を得るのは難しいでしょう。

 

 保護のコストは公共の負担に他ならないのですから。

 

 行政は切り捨ててはいけないけど、弱者側が保護を当然と思っても上手くいかない。

 

 生産性がないから保護に値しない、と行政の立場から言うべきではない一方で、自分たちは弱者だ!保護されて当然だ!という主張もまた、弱者という「お墨付き」を得ていない身とすれば、あまり気持ちの良いものではありません。

 

(そんなお墨付き、得たいとも思いませんが)

 

 保護なんて、基本的に切羽詰まった時のセーフティネットであって、生活の余裕がありながら「寄越せ!」と声高に叫ぶものでもありません。

 

 そして、大した生産性なんてなくても、少しでも社会の役に立てる努力をしたいものです。

 

 だって、みんながみんな保護欲しさに弱者を名乗りだしたらどうすんのさ、みんなで社会を支えなかったら、立ち行かないよ、と思う訳です。

 

「弱者でいたければ、いればいいよ。でも、なるべく社会の一員として、何かしら支える努力はしようよ」

 

 そんな事を、思います。

【鎌倉四兄弟-最後の晩餐-】よくある質問──三男なのに次郎って?【角田晶生】

  • 2018.07.23 Monday
  • 23:07

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(角田晶生 つのだあきお・フリーライター)

 

 かつて頼朝公が攻めてくる前、鎌倉の地を拓き、治めて来た鎌倉一族。

 

 その棟梁家の四兄弟、人呼んで「鎌倉四兄弟」。

 

 長男は太郎なのに、次男は三郎。

 

 三男が次郎で、四男は五郎。

 

「次郎と三郎は逆じゃないの?」

 

 よく訊かれますが、これで史実通りです。

 

 なんでこうなっているのか?

 

 今回は、諸説ある中で、私の支持(って程でもないけど)する理由を紹介します。

 

 

 まず、長男が太郎なのは、誰も異論がないでしょう。

 

 以下、時系列で並べていくと、先に三郎が生まれていますが、これは側室の子と考えられています。

 

 太郎は母親が横山氏(隆兼?)の娘と言われているのに対して、三郎は母親がはっきりしません。

 

 だから、太郎は正室の嫡男で、三郎は腹違い。

 

 で、三郎という事は三男あるいは三番目に生まれた子(男なので郎)なので、生死はともかく、彼より前に二人以上生まれている(死産等も含む)ものと推測されます。

 

※余談ながら、我が家の祖父は名を八郎と言いますが、男子の八番目ではなく、子供全体の八番目で、男だから八郎と名づけられたそうです。

 

 いずれにしても名前が残っていないので、少なくとも物心つく前、あるいはきちんと生まれたかどうかも怪しい状態だったのでしょう。

 

 そういう事情で、彼は次男なのに三郎なのだと考えられます。

 

 そして、(まともに育った子供らの)全体では三人目となった次郎。

 

 これは正室の子なので、太郎に次いで次郎と名づけられたのでしょう。

 

 そして、五郎。

 

 これは単純に、四番目の子が早く死んだか、あるいは姉妹が一人(波多野右馬允義常室)いるので、それが四番目だったのかも知れません。

 

※こちらも母親がはっきりしないようで、側室の子だった可能性も考えられます。

 

 以上を総合すると、鎌倉四兄弟の構成は

 

太郎(正室の子)

三郎(側室の子)

次郎(正室の子)

妹(側室の子)

五郎(側室の子)

 

と考えられます。

 

 こうして見ると、正室の子は頼朝公(源氏)につき、側室の子は清盛公(平氏)に、と綺麗に分かれています。

 

※妹の嫁いだ波多野右馬允義常は、頼朝公の死者を散々に罵倒するなど、反・頼朝公の姿勢を見せ、後に自害しています(妹の末路ははっきりしませんが、恐らく後を追ったと思われます)。

 

 『保元物語』には太郎が三郎に助けられた時に「日ごろ粗末にしていたこと(大意)」を詫びるシーンがありますが、もしかしたら、腹違い同士、仲が悪かったのかも知れません。

 

 真相を証明する史料が確認されていないため、想像や仮説で埋める他ありませんが、もしかしたらこうだったのかも知れませんね。

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