【横浜市長選挙】カジノ誘致に反対!恩返しのお手伝い。【つのだあきお】

(つのだあきお 角田晶生・鎌倉浪人)

自分の選挙をお手伝い下さった同志への恩返しとして、平成29年7月17日(月・海の日)、横浜市長選挙のお手伝いに行って来ました。

お手伝いしたのは伊藤ひろたか候補。横浜市議会議員3期目に辞職しての挑戦です。

議員として市政の内情を知り、不満があるから自分が市長に名乗り出た。

市長や行政を叩くばかりで人気を稼ぎ、議員の食い扶持に安住するどこぞの議員たちも、少しは見習って欲しいものです。

さて、肝心の政策ですが、主に訴えていたのは
一、カジノ誘致に反対
一、中学校給食の導入
の二点です。
(その他、詳しくは本人のHP等をご参照願います)

演説によれば、現職の林市長はカジノ誘致に500億円の予算を投入する予定ですが、
「そんなお金があるなら、予てより市民の要望がある中学校給食の実現に回そう」
というのが、彼の主張です。

現職を相手に、なかなか厳しい選挙戦とは思いますが、ご健闘を祈ります。

【横浜市民の皆様へ】
市長選びは、皆様の生活に直径します。
誰を選ぼうが自由ですが、くれぐれも後悔しないよう、投票されることを強くお勧め致します。

【鎌倉市まち美化推進員】7月16日(日)クリーンキャンペーン。【つのだあきお】

(つのだあきお 角田晶生・鎌倉市まち美化推進員)

平成29年7月16日(日)、鎌倉駅前にて実施されたクリーンキャンペーンに参加。推進員13名と市職員5名が鎌倉駅の東口と西口に分かれて、ごみポイ捨て防止のお願い(鎌倉市オリジナルティッシュペーパー配布)とごみ拾いを行いました。

活動中、観光客の方より
「東口にはどう行けばいいですか?」
「観光協会(荷物預かり)はどこですか?」
というお問い合わせがあり、駅前の案内にそうした点を盛り込むと良いかと思います。

また、せっかく受け取りのよいティッシュ配りですから、下段に広告を入れても良さそうです。

そうこうの内にティッシュペーパーは完配しましたが、みんなの心がけでポイ捨てゼロの鎌倉を実現して行きたいものです。

【神奈川縣護國神社】7月15日(土)第62回清掃奉仕・みたままつり。【つのだあきお】

(つのだあきお 角田晶生・神奈川縣護國神社 副祝)

平成29年7月15日(土)、横浜市戦没者慰霊塔(三ツ沢公園)にて神奈川縣護國神社の第62回清掃奉仕を実施。郷土・神奈川県の英霊に対して感謝と顕彰の誠を奉げました。

今回の参加者は常連のTMさんと角田の2名。汗の噴き出す炎天下、雑談を交えながら和気あいあいと草むしりに勤しみました。

清掃奉仕の後は靖国神社に昇殿参拝、斎行中の「みたままつり」や遊就館を見学しました。

今年も「神奈川縣護國神社を再創建する會」名義で献灯しましたが、案内スタッフの方に

「まだ運動してるの?」

と言われてしまいました。

……やれやれ、まだまだ活動が足りませんね。

今後も地道に精進して参ります。

【鎌倉市青少年指導員】7月14日(金)大船地区会議。【つのだあきお】

19989314_1083472315118478_1066663357879293347_n

 

JUGEMテーマ:地域/ローカル

JUGEMテーマ:日記・一般

 

(つのだあきお 角田晶生・鎌倉市青少年指導員)

 

 平成29年7月14日(金)、鎌倉市・きらら大船にて実施された鎌倉市青少年指導員の大船地区会議に出席しました(12名)。

 

 当日は定例の活動報告(役員会、各委員会)に加え、いよいよ来週末に迫った大船地区のサマーキャンプについて、最終調整が行われました。

 

 合わせて、秋に実施される鎌倉市の子どもキャンプについても、事前研修や親子説明会の日程が詰められ、一年で最大のイベントを前に、楽しみにしています。

 

 また、中学生作文コンクールについても、テーマが決められ中学校に対して周知広報も進められていますが、現在の鎌倉市との共催体制に対する疑問の声も出ていました。

 

 こうした事柄についても協議しながら、着々と準備が進められています。

 

 来週のサマーキャンプ、少しでも楽しく有意義になるよう、お手伝いさせて頂きます。

 

 

※参考:

【鎌倉市青少年指導員】7月22日(土)23日(日)大船地区サマーキャンプ2017。【つのだあきお】

http://tsunoda-akio.jugem.jp/?eid=1579

(募集は〆切っています)

鎌倉市/鎌倉市青少年指導員連絡協議会

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/seisyo/seisi.html


【鎌倉物のふ語】戯曲「八木下五郎・丸子の渡し」。【つのだあきお】

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:地域/ローカル

 

(つのだあきお 角田晶生・フリーライター)

 

 武士が好き。

 

 マイナーが好き。

 

 これを合わせて、マイナーな武士が大好きです。

 

 あまり時代に顧みられず、歴史の片隅を駆けずり回っていた男たちの横顔を描いてみたい。

 

 そんな思いから、これまで拙い筆を奮って、いくつかの物語を書いてみました。

 

 名づけて「鎌倉物のふ語(もののふがたり)」。

 

 今回の主人公は八木下五郎(やぎした の ごろう)。

 

 鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には登場せず、『源平盛衰記』『延慶本太平記』等の軍記物にのみ登場するため、その実在を疑問視する声もあるようですが、そもそも『吾妻鏡』自体が鎌倉時代末期(正安二・1300年ごろ)の作品であり、百年以上昔の事をすべて網羅するのは難しいでしょうし、実在した可能性も十分にあると考えます。

 

 判る範囲で書いておくと、彼は鎌倉党(鎌倉権五郎景正の一族)の一員と伝わりますが、詳しい関係(家系図)は不明です。相模国足下郡柳下郷(さがみのくに あしのしもごおり やぎしたごう。現在の神奈川県小田原市鴨宮一帯)を治めていたそうで、酒匂川を挟んで鎌倉党の宿敵・中村党と対峙していました。鎌倉党の本拠地である大庭御厨(おおばみくりや。相模国高座郡)からはかなり西に離れ、一族の辺境警備的な存在だったのかも知れません。

 

 また、もう一人、相方として登場する酒匂太郎(さこう の たろう)。

 

 こちらは文字通り?酒匂川の流域を治めたか、あるいはルーツと見られる武将で、『吾妻鏡』に頼朝公の命を受け、酒匂川の石を鶴岡八幡宮に寄進させた記録(建久三・1192年8月9日条)が残っています。酒匂氏と言うと、鎌倉党の一族・梶原朝景(景時の弟?甥?)が祖とも言われますが、太郎の活動時期から、もう少し前の世代にも「八木下氏」の近くに「酒匂氏」が存在していたものと思われます。

 

 いずれにせよ、こうした歴史の断片から想像を掻き立て、一つ戯曲(ぎきょく。芝居の台本またはそうした形式の読み物)に書いてみました。

 

 名づけて「八木下五郎・丸子の渡し」。

 

 ご笑読に供しましたら幸いです。

 

 

 

【鎌倉物のふ語・八木下五郎−丸子の渡し−】

 

語り
「時は平安、治承(じしょう)四年八月。
 豆州(ずしゅう)にて源頼朝公謀叛(むほん)の報せを受けた東国の後見・大庭平三郎景親(おおば の へいざぶろう かげちか)。
 早急(さっきゅう)に征伐の兵を起こすべく、相州(そうしゅう)各地を治める鎌倉一族の郎党(ろうどう)に対し、加勢を命ずる使者を発した。
 使者は酒匂川(さかわがわ)のほとり・柳下郷(やぎしたごう)へも到り、当地を治める八木下五郎景茂(やぎした の ごろう かげしげ)は下文(くだしぶみ)を拝受。
 棟梁の動員招集(召し出し)とあらば、馳せ参ぜずばなるまいが……まずは談合するべく、八月十九日の夜、近郷の舎弟・酒匂太郎景長(さこう の たろう かげなが)を椀飯(おうばん)に招いた―――」

 

(八木下邸。上手に単座する八木下五郎が、下手より登場する酒匂太郎を迎える)

 

酒匂太郎
「おぅ兄者。此度(こたび)は椀飯に与(あずか)り、忝(かたじけな)い」

 

八木下五郎
「よぅ太郎。久方ぶりに、一献(いっこん)酌(や)りとうなってなぁ。まぁ遠慮せず、たんと呑め」

 

酒匂太郎
「おぅ、呑まいでか……と言いたいところじゃが、その前に『話』があろう」

 

八木下五郎
「解っておるなら話は早い。大庭の棟梁殿が、先刻謀叛しおった京のボン佐殿(すけどの)……要は源頼朝めを討つべく、兵を起こされるそうじゃ」

 

酒匂太郎
「まぁ、そうなろうな」

 

八木下五郎
「そこで使者の申すには、相国入道(しょうこくにゅうどう)・平清盛さまより拝命せし東国の後見として、『源氏の嫡流(ちゃくりゅう)』などと嘯(うそぶ)く逆賊を成敗してくれる……と大層な張り切りようで、兵八千を掻き集めるおつもり、なんだとよ」

 

酒匂太郎
「まったく……随分景気の良いこって。口先だけなら、何とでも言えらぁ」

 

八木下五郎
「そこで漸(ようよ)う本題じゃ。此度の戦、我らに兵二百を出せと言うて来おった」

 

酒匂太郎
「何を戯言(ざれごと)!
 確かに武士は元より、漁師(いさり)や樵(きこり)、川守(わたし)に手工(たくみ)、狩人(かりゅうど)博労(ばくろう)まで刈り出せば、二百の兵が集まらぬでもない。
 しかし、我らが縄張りは誰が守る?大馬鹿の棟梁殿か?」

 

八木下五郎
「左様。棟梁殿の御心は、常に都を向いておる。それが京か福原かは知らんがの」

 

酒匂太郎
「我らが土地は毎年のごと酒匂川(さかぁがぁ)の暴れて、ろくに田畑も作れぬが故に貧しいが、棟梁殿は顧みちゃあ下さらん」

 

八木下五郎
「再三治水を上申しても、ここは川向こうに百年来の宿敵・中村党を睨む最前線。とても普請(ふしん)のお考えには至らんのう」

 

酒匂太郎
「まぁ、詮無(せんな)き愚痴よ……して、加勢の件は如何(いかが)される」

 

八木下五郎
「仕方ねぇ。大馬鹿の棟梁殿は気に喰わぬが、真っ向切って楯突く大義も兵力もなければ、ボン佐の博打に乗るほど酔狂でもない。二百は無理でも、三十から五十でも出してやれば、まぁ義理は立とうて」

 

酒匂太郎
「なれば明日にでも、若ぇ衆(し)に声ぇかけにゃならんなぁ」

 

八木下五郎
「頼めるか。刻限は四日後、二十三日の正午。丸子(まるこ)の渡しにて出迎えよ、との由(よし)」

 

酒匂太郎
「承知した。時に、駄賃(だちん)は?」

 

八木下五郎
「一人一日、大豆五合(ごんごう)。七合(ななごう)までは負けても構わん」

 

酒匂太郎
「ちぇっ、しけてやがらぁ。米ぇ出さんかい、米を。せめて麦だ」

 

八木下五郎
「戯(たわ)け。厳しい懐具合は解っておろう……まぁ、後の手当は軍功(はたらき)次第と言うておけ」

 

酒匂太郎
「まぁ、そうなるな」

 

八木下五郎
「では、頼むぞ。我は我で武具など差配(さはい)せにゃならん。各々(おのおの)使い馴れた得物(えもの)を持たせた上で、ある者には掛矢(かけや)に鋸(のこぎり)、鉞(まさかり)など持参すれば、手当を一合増しと伝えよ」

 

酒匂太郎
「心得た」

 

(八木下五郎は上手に、酒匂太郎は下手にそれぞれ退場)

 

語り
「さて、それからの三日間、八木下五郎と酒匂太郎は兵士に武具、兵糧の調達に駆け回った。
 刀や槍の錆を削ぎ落とし、細竹を切って矢を作り、竹を削って弓を拵え、筵(むしろ)を腹や脛(すね)に巻いて鎧の代わり、芋茎(ずいき)を塩で煮しめて縄に綯(な)い、干した魚を取り込んで、米・麦・大豆を俵に詰めて、薪・鍋・釜など馬に積み……云々。
 また、集まった男たちには先払いとて兵糧三日分と手当の大豆を与え、当日必ず参じる旨の起請文(きしょうもん)を書かせた。
 そうこうの内に八月二十三日。どうにか集まった兵五十を従えて、八木下五郎と酒匂太郎は、丸子の渡しで大庭平三郎景親の軍勢を出迎えた―――」

 

(八木下五郎と酒匂太郎が下手に控え、上手より登場した大庭景親を迎える)
(人数がいれば、一族郎党を付き従えるとより良い)

 

大庭景親
「おぅ、八木下に酒匂。此度の参陣、誠に大儀(たいぎ)なり」

 

八木下五郎
「はあ。八木下五郎景茂、並びに酒匂太郎景長、兵五十もて着到(ちゃくとう)致し候旨(そうろうむね)、文書(もんじょ)に御花押(ごかおう)を賜りたく……」

 

大庭景親
「まぁ待て。我ら炎天下に遠路の行軍、そろそろ一息つきたいところ。今宵は当地に陣を布くゆえ、雑事(ざつごと)は後にせぬか」

 

酒匂太郎
「暫く」

 

大庭景親
「何ぞ酒匂の。如何した」

 

酒匂太郎
「畏れながら、川を渡られるなら、本日中になされませ」

 

大庭景親
「む?そなたは話を聞かなんだか。我ら早朝より遠路の行軍にて疲れておる。何ゆえ左様に楯突くか」

 

酒匂太郎
「はあ。実は予てよりの雨で、酒匂川が増水しておりまする。機を逸さば、水が引くまで三日は渡れのうなりまする」

 

八木下五郎
「さすれば、豆州にて勢いづいたボン佐めに敵はなく、ますます手に負えなくなりましょうな」

 

酒匂太郎
「ましてや、我らが背後に三浦党の五千騎が迫り来るとの報せもあり、ここに留まらば、まさに背水の陣を強いられ申す」

 

大庭景親
「うぅぬ……我らが軍勢、集まったは畢竟(ひっきょう)三千。三浦の話が半分とて楽観は出来ぬ」

 

八木下五郎
「なればこそ早う川を渡られ、地の利を得ましょうぞ。三浦を足止めして圧倒的な兵力差でボン佐を討ち果たす。赤子とて解る道理にございまする」

 

大庭景親
「うむ……其方(そのほう)らの申し分、尤(もっと)もぞ。今は休まず川を渡り、相国入道平清盛さまに楯突く大逆賊・源ボン佐頼朝めを成敗してくれる!」

 

(大庭景親の決めポーズ※の両脇から、八木下五郎と酒匂太郎が囃し立てる形で)
※采(ざい)や鞭など振るい、ビシッと翳(かざ)す仕草など良かろう。

 

八木下五郎
「おぅ、その意気その意気」

 

酒匂太郎
「いよっ、坂東一(ばんどういち)!」

 

諸将(いれば内一人が発し、残り総員が応じる。いなければ大庭景親が発し、二人が応じる)
「えい、えい、えい!」
「「「おう!」」」

 

大庭景親
「出立(しゅったーつ)!」

 

(一同、上手へ進軍、退場)

 

語り
「……かくして、酒匂川を渡った大庭景親の軍勢三千は、石橋山の地に源頼朝一味を蹴散らしたが……」

 

八木下五郎
「……暫く!」

 

(八木下五郎と酒匂太郎が下手より荒々しく登場)

 

酒匂太郎
「此度の戦、恩賞なしとは如何なる所存か!」

 

(大庭景親、上手より悠然と登場)

 

大庭景親
「無しとは申さぬ。元来土地も財も持たぬ頼朝めを討ち払うたとて、与える物の分奪(ぶんど)りようがない。よって、やむなく此度は、上納の減免もて恩賞に代えると言うたまでじゃ」

 

八木下五郎
「信用出来るか、ふざけるな!我らも苦しき中より、やりくり算段して兵を出しておる。その忠義が報われぬとは!」

 

酒匂太郎
「また、感状の記載も軍功の洩れが多く、杜撰の限り。我らが働き、侮られるも大概になされぃ!」

 

大庭景親
「……何と申そうが、無き袖は振れぬ。其方らの忠義は決して忘れぬ故……」

 

八木下五郎、酒匂太郎
「「有り難き仕合せだバカヤロウ!」」

 

(二人は踵を返して下手へ退場、大庭景親は呆れた様子で悠然と上手へ退場)

 

語り
「その後、悪運強く逃げ延びた源頼朝は勢力を蓄え、ふた月後に大庭景親らを討ち滅ぼした。
 八木下五郎景茂は討死したとも逐電(ちくでん)したとも言われ、酒匂太郎景長は源頼朝に降伏、御家人として仕えたと言われるが、その件は、又の機会に。
 話はこれにて終(しま)いに候……」

 

【完】

 

 

 

 読了(して下さいましたら)、誠にありがとうございます。

 

 

 詳しい解説はまたにしますが、棟梁より疎んじられて辺境に「飛ばされた(?)」あまり柄の良くない(そして貧しい)武士たちが、動員をかけられて兵や武具、食糧の調達に駆け回って参陣・奮闘したものの、結局は満足に報いられず、棟梁に対する忠誠を(より)失っていく経緯を、断片的に描いてみました。

 

※自作の他稿とやや異なる大庭景親像かも知れませんが、色々な解釈が、豊かな創作表現につながるものと考えます。

 

 酒匂川(丸子川)の増水によって三浦の援軍が足止めを食らい、石橋山の合戦に参加出来なかった事実を元にして、

「もし、大庭景親も酒匂川を渡ら(れ)なかったら、どうなるだろう」

というのが、この話のモチーフです。

 

 

 ところで、八木下と酒匂に「名前」がついていますが、これは創作です。

 

 柳下郷に「加茂神社」が鎮座しているため、その「茂」の文字をとって、鎌倉一族の通字「景」と合わせて「景茂」。

 

 酒匂川は(当たり前ですが)川であり、水が「なが(流)」れるため、「景なが」⇒「景長」としました。

 

 ちなみに、この正式名称は公式の場以外で使うのは無礼とされ、主君であっても部下に対して「通称(今回の八木下なら五郎、酒匂なら太郎)」で呼ぶのが一般的でした。

 

 

 また、今回は「書類」を盛り込んでみました。

 

 先払いの手当を渡した男たちに「当日ちゃんと来いよ」と念を押す「起請文(誓約書)」。

 

 主君の動員に応えて、ちゃんと参陣(着到)した事を証明する「着到状(文中では文書)」。言わば「戦場の出勤簿」で、主君の決裁(花押。かおう、サイン)があって初めて有効となります。

 

 そして、主君が部下の手柄を認め、感謝(+もちろん報酬)を示す「感状」。別名「軍忠状」。

 

 古今東西、何かと記録が重要になるのが軍隊というものです。

 

 自分の手柄がきちんと証明されないと、食い扶持や名誉に関わり、ひいてはそれが一族の存亡にもつながりかねないからです。

 

 また、金銭(この時代は、通貨よりも現物の方が重宝される、という設定により、登場しませんでしたが)や食糧、装備品の管理等にも記録が必要で、現存していないものの、恐らく膨大な量の記録がつけられては消えていったものと思われます。

 

 

 他にも「当時、この地域に住んでいた人々が何を食べていたか」「いざ戦の時は、どんな装備で臨んでいたか」等々、少しでも多くの要素を盛り込み、彼らの活き活きとした姿に思いを馳せる縁(よすが)となれば幸いですが、まだまだ修行が必要です。

 

※参考:

【鎌倉四兄弟】マイナー武将紹介「柳下五郎&酒匂太郎」。【つのだあきお】

http://tsunoda-akio.jugem.jp/?eid=1321

柳下郷(中世)

http://jlogos.com/ausp/word.html?id=7305340

源頼朝の旗あげ

http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yoritomo.htm

 

 

※おまけ:

いざ鎌倉プロジェクト-鎌倉四兄弟-最後の晩餐-

http://izakamakura.jp/?page_id=1929

http://izakamakura.jp/tsunodaakio-kamakura-four-brothers.htm

 (拙稿を掲載して頂きました)

いざ鎌倉プロジェクト-鎌倉四兄弟-最後の晩餐-

http://izakamakura.jp/img/kamakurabrother01.png

http://izakamakura.jp/img/kamakurabrother02.png

(当時の勢力図と人物関係図。ちゃっかり私もいるので、探して下さい・笑)

【鎌倉武士】戯曲『深沢兄弟・建暦戦記』。【つのだあきお】

http://tsunoda-akio.jugem.jp/?eid=1561

 

こういう文章を書き貯めて、その内『鎌倉物のふ語』とか書籍にしたいな、と思っています。


<< | 2/319PAGES | >>

カレンダー

<< 2017年07月 >> 
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

プロフィール

twitter

Google+

Facebook

アルバム

posted by (C)角田晶生

最近の記事

テーマ別記事

年月別記事

リンク

ブログ内検索

その他